こちらが元祖(^^; 「近鉄」です。

近江鉄道の創業は、今から100年以上も前、1896年の話。(営業開始は1898年、彦根−愛知川間)
すなわちが、100年以上前から「近鉄」だったのです!
ところが、「近鉄」を略称として使っている「近畿日本鉄道」が誕生したのは、第2次大戦中の 
1944年。近鉄としての歴史は、近江鉄道の方が、倍近くも長いのです!!

でも、規模の面でも、そして、社会一般としても「近鉄」=「近畿日本鉄道」であるのは、間違いないでしょう。なにしろ、「近鉄」の略称が、経済界・金融界でも認められてますから…。

※「きんてつ」意外に「おうてつ」と呼んでいた人も居るらしい。
 ただ、「きんてつ」と呼んでいた人が居たことは間違いないです。
 
前置きはこれくらいにして、近江鉄道に残る「近鉄」を見てみましょう。

(1)沿線案内図
  '07年〜'08年に「近江鉄道ミュージアムミュージアム」にて公開されていた、昔の沿線案内図から
 
 

 「近鉄バス」「近鉄タクシー」と言えば、現在は近畿日本鉄道の子会社ですが…。

何より驚いたのが、近鉄が真珠の養殖を行っていたこと。近畿日本鉄道なら、賢島の近く、英虞湾でやってそうですが、
近江鉄道は、琵琶湖でやってたのですね。(高島市高島町か安曇川町あたりと思われます)

 
 
 
五箇荘駅の字が、現在とも、(旧)五個荘町とも違う文字になってますが、そこから分岐して、「近鉄直営 砂利採取場」までの線路が書かれています。この線路、現在も砂利の輸送に使われている「西武側線」のことですよね(分岐の方向が逆なのはご愛敬か?)

(2)ひこね芹川−彦根口の踏切
 
 JRで言うところの猿尾道踏切です。(芹川沿いです)
 警報機に「JR」「近鉄」と書かれています。
2013年に警報機が更新されたので、「近鉄」表記が消えるか(「近江」になる)と思われましたが、なんと、「近鉄」表記のままで更新されていました(驚)。
 

(2013.4.5撮影)
 

(3)各所にある「境界標」

彦根口駅の上下線路間に、これがありました。最近のものは「近江鉄道」と書かれているようです。
 

 彦根口 '00-10-15 
  水口 '01-3-10
 
水口駅で車止めとして使われていた「元境界標」です。彦根口に比べ新しそうです。
 

(4)運転手用カバン

「ガチャコンまつり2000」で購入した鞄です。
 

 '00-10-15
 

(5)明治33年 近鉄本社

高宮駅コミュニティセンターに展示してあった絵です。
明治33年に「近畿日本鉄道」があるわけはなく、近鉄といえば近江鉄道だったことがよく判ります。
  

 
 
 

(6) 貴生川駅の鏡広告

貴生川駅にある「水口女子専門学校」の広告です。

 
 

(7) 懐かしの彦根駅

 
彦根駅前にある「ちゃんぽん亭総本店」(をかべ)さんの店内にあった「懐かしの彦根駅」の写真。

タクシーが「近鉄」になっております。昭和30年頃、だそうです。
 
 

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